全身麻酔での手術は眠っているだけなので何も苦痛ではなかった。私の苦行は術後から始まったのだ。
まず、切った部分が腫れるので舌先が右側にいくように、動かないようにと糸らしきもので縫って固定され、鼻から流動食が取れるように経鼻カテーテルが装着されていた。
一晩たって心電図のモニターやら導尿やらは外れたが、しゃべれない(非常に喋りづらいし聞き取り辛いので筆談)わ、鼻は角度を変えると痛いわ、おまけに左手の甲には太い針の点滴がささっていてコチラも動かせぬわ・・・と、舌の痛み以外の苦痛が大きかった。
そしてついに、鼻から流動食が始まった。
朝は少なめに200mlからのスタート。注射器でまず薬のようなものが流し込まれ、そのあと点滴開始。
当り前だが味を感じることはないが、温度ぐらいはわかる。ひんやりとした液体がゆっくりと流し込まれていく。予想していたよりも気持ち悪くはならなかったが、点滴なのでとにかく時間がかかる。早く入れすぎてもピーピーになってしまうので仕方ないのだけどさ。次は倍量の400だったがさすがに苦しかったので、300に落ち着いた。それでも毎食後、おなかがゴロゴロうごめいており気が気ではなかった。食べたくないのに食べさせられている感も相まって食事の時間が来るたびにテンションが下がる。これが8回も続いた。
点滴をぶら下げたまま院内を歩くことはできたが、ボサボサの髪に鼻からたれさがるチューブはビジュアル的にも最悪なので殆ど病室で読書をしていた。
右手しか使えないので読むのにも一苦労。主人の人のタブレットに電子書籍を入れて持ってくるんだった。そうすれば指先一つですんだのに。
術後3日目、午後3時。ついに経鼻カテーテルが外れるときが来た。
看護師さんから紙コップに入った水を渡された。
「水が飲めるか飲んでみてください。」
これが飲めなかったら鼻からご飯が続投になる、それだけは嫌だ。私は飲んだ。ひんやりとした水が口の中に入り、喉へと流れていく。
水が、
美味しい。
おそらく給水器の冷水ボタンを押したら出てくる水なのだろうが、今まで生きてきたなかで一番水が美味しいと感じる瞬間であった。
よく考えたら栄養こそ取っているものの3日も口から飲食していなかったのだ。こんなことは普通に生活していたらありえないだろう。
私はこの”口から水を飲み味わうことができる”というごく当り前のことが、物凄く幸福で有り難いことであるのだと身を持って感じることができたのだ。本当に嫌な時間であったが、鼻から流動食に耐えてよかった。
無事に口から水を飲むことが出来たので、カテーテルは外してもらえた。同時に点滴の針も外してもらえた。
そのお陰でシャワーを浴びることも可能になったので速攻予約をしにいった。コレを機に、タオルでの体拭きも終了。
何だか一気に自由になった気がした。自由って素晴らしい。
不自由にならないと気が付かないことはたくさんあるだろう。言葉で説明されただけではピンとこなかったりもする。しかし、その極一部だけでも知る事ができたのだから、今回の入院は手術を受けるという目的以外でも収穫があったと言えるだろう。
そんなことを考えた入院生活の折り返し地点だった。
病院のシャワー室も広々としていて中々快適でした。
そういえば、私が子供の頃に、鼻から牛乳という歌があった。チャラリー、鼻から牛乳。何度も鼻から牛乳をだし何とかその場をごまかし続けるあの歌だ。
今の若い子は知っているんだろうか。